人の気持ちが分からない件について

分からん

今日は最近の考え事について吐き出したいと思います。

考えというか悩みというか、とにかくその内容というのはタイトル通り「人の気持ちが分からない」という事。これをを某友人に話したところ

「自覚があるだけ立派」

と言われました。そうなのか...って感じです。

 

元々の考え

僕は以前からずっと

「みんな人の事分かった気になってるだけなんじゃないの?自己満足なんじゃないの?」

と思っていました。

「人の気持ちなんて分からないのが当たり前」

「人の考えや気持ちが分かるなんて思い上がりで傲慢」 

という考えを持っているからです。

 

「人の気持ちが分からない」とは

さて、「人の気持ちが分からない」とは言いましたが、それは

もうおよそ信じられないくらい空気が読めなくてどうしようもない迷惑な人間

という事ではない(と自分では思っている)です。大学ではある程度友人もいて、仲良くしてくれています。

 

分からないなりの配慮

人の気持ちが分からない自覚があるので、それなりの配慮をするようにしています。「こういう文面で伝えたら傷付けてしまうかな...」「今日のあの発言は良くなかったな...」「あの時何か言っておくべきだったかな...」などなど。

事前に配慮をして発言や行動を考える事もありますが、後になってダメだったと考えてフォローを入れる事の方が多いです。やらかしてしまったかな...と後になって思います。良くない事は引きずる性質なのだと思います。

 

結論:疲れた

自分の発言が聞く人にどういう影響を与えるか、どう受け取られるかなんて考えてもキリがありません。人の数だけ考え方があるので、いちいちその人に合わせた配慮で言動をするという訳にもいかない。まして複数人に対して放つ言葉で聞く全員に配慮をするというのは不可能であると考えています。特に「自分の発言を聞く人がどう受け取るか」というのは人の気持ちが分からない僕には絶対に理解出来ません。

ここしばらくこのような人間関係における配慮に少なからず頭を悩ませていましたが、「無意味」というのが僕の出した結論です。人の気持ちが分からない奴が人の気持ちを考えて振る舞うなんて無理な相談です。考え過ぎて疲れるし。考えるだけ時間の無駄だという所に行き着きました。

 

ただし

人の事など何も考えず、人目を全く気にせず生きれば良い、というものでもありません。僕は他人の気持ちについて答えの出ない考え事をするのを止めるべきだ、と考えているだけで、人に対する配慮はある程度持って生きるべきだと思います。

ざっくりと言えば「人に迷惑をかけない」とか、自分が必要だと感じる(かつ汎用性が高い)配慮を心がけて、周りの人間とうまく行けばそれで良いでしょう。人の気持ちなんて分からなくてもある程度良好な人間関係を築く事は出来るし、僕はまだ「人の気持ちが他人に分かるはずはない」と思っています。

 

最後に

人の気持ち。自分の言動。そういう事で悩んでいる人がいて、何故かこの記事を見ているとしたら、僕から言えるのは「そんなことは気にしすぎない方がいい」という事です。人の気持ちを気にするあまり自分の精神がやられてしまっては目も当てられない、と僕は思います。人の目を気にしすぎるのは自分の心の健康のためにやめるのが吉でしょう。

ただ、そう気付いて割り切ったからと言って簡単に止められる物ではないと思いますし、僕もすぐには出来ないと思います。だから少しずつでも、人の気持ちに頭を悩ませている自分に気付いたら「意味がないからやめよう」と考えて時間や思考を他の事に充てるようにしていけたら、有意義なのではないかと。

 

自己紹介

初めまして。chike_iです。考え事を吐き出す場所としてブログを開設しました。最初の記事という事でまずは簡単に自己紹介の記事から始めたいと思います。 

ぼやっと生きてる東京の大学生です。趣味はアニメ・音楽。ドラム叩いたりギター(少し)弾いたりします。PythonGoogle Apps Scriptなんかを少し嗜んでいます。

(...自己紹介終わっちゃった)

このブログには「こんなプログラミングやってみてるよ」とか「ドラム練習フレーズこんなのやったよ」とか「最近こんなこと考えてるよ」とか、何でもかんでも書いていこうと考えています。何かしらで人の役に立てば幸いです。